陰湿な陰口

ママ友が厄介なグループだということは今に始まったことではない。
ずっと昔からある問題で新しい問題ではないのだ。
ママ友の厄介さは日本のグループが村社会の一形態であるからだと思う。
庄屋と村人がおり、村人は皆平等で「なければならない」という「掟」が「暗黙」のうちにあるのが村社会である。
これに外れるものは爪弾きになる。
外れるか否かの判断は庄屋の胸三寸。
ジャニーズやSMAPも同じ。

私の母もこのママ友の人間関係に苦しんだ一人だ。
何も悪いことをしたわけではない。
ちょっとメンバーから疎まれただけのような気がする。
一旦疎まれると関係のないメンバーまでタカるのが村社会の闇である。
母が悩んだのはママ友にありがちな、妬み嫉みから来る陰湿な陰口や噂である。

子供というものは、意外と大人の顔色を良く観察しているもので、取り分け親とその周辺の大人には敏感である。
子供は弱い立場であり、親の庇護を期待するが、同時に親のピンチにも敏感に反応する。
親の敵は誰なのかと神経を研ぎ澄ませる。
親のピンチは自分のピンチに直結するからである。

私は子供ながらに、母が悩んだ陰湿な陰口の出所がこの隣の婆さんではないかと感じていた。
陰口が余りにも具体的で我が家の生活を観察している者では語れないような陰口だったからである。

隣の婆さんはいつも我が家に対抗心を持っていた。
家の立て替えや子供の進学、車の購入、ありとあらゆるものが婆さんの対抗心のネタになった。
今は、認知症になってしまった私の母がネタになっていると思う。

自分は認知症にならなかったという、勝ち名乗りがしたいのだ。
その現れが私に対する、冒頭の言葉なのだ。
「ありがとうございます」とだけ言ったが、当然、お互い本音ではないことは暗黙の了解なのだ。
こういった、隣近所にとやかくちょっかいを出す田舎においては、このようなやり取りは一種の礼儀なのかもしれない。
本当に困ったときは本当に信用できる人に頼むものだ。

婆さんが他人を心配できるほど健康ではないことは、近所の人々は薄々感づいている。
しかし、婆さんは隣近所の頂点に君臨したいのである。
何十年もたった今でも、そんなつまらない対抗心や嫉妬に囚われているとは、何という人生だろうと思う。

しかし、こういう婆さんは放って置くとして、
日本に存在する有りとあらゆるグループも「村」意識から脱却しないと将来がないような気がするが、如何だろうか。