倫理観について考察してみる

倫理には「自分にして欲しくないことは他人にしない」という原理的な考え方がある。
「自分にして欲しくないこと」というのは、万人に共通する事柄もあれば、個々人で少しずつ考え方が異なる事柄もある。
万人に共通する事柄としては、殺される、傷つけられる、財産を盗られる、騙される等々が思い付く。
これらに関する倫理は法律として禁止され罰則が設けられている。

個人毎に少しずつ異なる事柄は様々なことがあると思う。
そして、この事柄に関しては建前と本音に乖離がある人もいる。
例えば、建前は「淫らなことはして欲しくない」と公言していても、本音では「淫らなことをして欲しい」と思ている人もいる。
つまり、建前では紳士淑女として振る舞うことが倫理的と考えられ、本音ではそうではないという、二条構造を持つ倫理観もある。

さらに「して欲しくないこと」には性差がある。
女性は「犯されたくない」と考えるが、ほとんどの男は「犯される」という状況の現実感がないため、その被害の大きさを想像するしかない。
どれだけ詳細に想像することが出きるかが、それに関する倫理観の現実味に寄与すると思う。

不倫や浮気について考えてみる。
多くの男女は「不倫されたくない」、「浮気されたくない」と考える。
それゆえに、普通は不倫しないし浮気もしないという倫理観を持つと思う。
しかし、これに建前と本音を設定する人が少なからずいる。
建前では不倫はダメ、浮気もダメと公言するものの、本音では不倫したいし浮気もしたいと考える人々がいる。

さらに、不倫や浮気を許容する人もいる。
許容する代わりに自分も自由に浮気や不倫をするという価値観を持つ人がいる。
このような人は人生において特定の人との恋愛や結婚に対して価値を見いだしていないのかもしれない。

このように不倫や浮気に対する考え方や、夫婦関係・恋愛関係に対する価値観のレベルが合っていないと、すれ違いが生じやすい。
ただ、価値観は時とともに変化することがある。
レベル合わせができていたからといって、将来に渡ってレベルが維持されるという保証ははない。

自己の欲望を優先するのか倫理を優先するのかという選択が迫られる。
倫理を捨て欲望を優先するのであれば、相手が「して欲しくなかった」ことをしてしまったことに対する責任を負わねばならない。
責任を負わずして倫理を捨てることはできない。
不倫とは倫理観を捨てること意味するのであるから、初めから責任が問われるのは当たり前のことである。

しかし、人生というものは時として倫理を振りかざす意味がない場合がある。
人は自分らしさを希求して生きる権利がある。
ただ、倫理観を捨てるのであるから責任は問われることの覚悟が必要ではある。

野良亭主

先日、日曜日にスーパーへ行った。
休日のスーパーは人が多くて好きでない。

人が多いと思うその要因は売り場を彷徨く変なおじさんたちのような気がする。
多分、奥さんの買い物に付いてきた購買権限のない旦那だろうと思う。
自分に購買権限がないものだから奥さんが買い物をしている間は売り場を彷徨いて暇な時間を潰そうとしているに違いない。
奥さんと一緒に買い物をしている旦那は意外と少ない。
仲良く買い物をしている夫婦は羨ましく思うものの、時おり言い争いをしていたりすると旦那は奥さんに任せればいいものをと思ってしまう。
多分、そのような旦那が居たたまれなくなって売り場を彷徨く「野良亭主」になってしまうのだろう。

彷徨いている旦那は邪魔というだけでなく、気になる商品を奥さんのカートまで持っていくわけでもなく、ただ単にベタベタ触り元の場所に戻したりしているのである。
食品売り場の商品の場合、衛生上のリスクがあったりする。
野良亭主は車の中で待機していた方がよっぽどましな気がする。
既にその事に気がついる旦那もいて、奥さんが買い物が終わるまで車で待機していて、奥さんが買い物が終わる頃手伝いに出向く人もいる。

しかし、せっかくいっしょに買い物に来たのならば、野良亭主になるのではなく、一緒に買い物をして価値観のすり合わせをすれば良いのにと思った。
金銭的価値観の一致は大切だと思う。

ホモ・サピエンスの先祖

サピエンスとネアンデルタール人の関係に関する最新情報がNHKスペシャルで放送されております。

昔、高校生だった頃、歴史の授業で人類の発達について幾ばくかの知識を教え込まれたことを思い出しました。
確かにホモ・サピエンス以前にヨーロッパでネアンデルタール人が繁栄していたと習いました。
当時の疑問として、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの先祖なのか傍流なのかということでした。
しばらくして、傍流であることがわかりましたが、逆にネアンデルタール人とホモ・サピエンスが共存したということは無かったのだろうかという疑問が湧いてきました。

その事については、時おり気になりながらも、しばらく頭のすみに留まることになりました。
積極的に調べることもせずに、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交雑種は存在しなかったのだろうかという疑問にも発展させておりました。
もし、交雑種が現在も生存していたとしたら、どんな人種になっているのだろうと想像したりもしました。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは、犬に例えると、土佐犬とシェパードのように犬種の違いのような関係だと思われます。
犬には異なる犬種同士の交雑種が存在するように、ネアンデルタールとホモ・サピエンスの交雑種が存在しても不思議ではありません。

番組ではその回答が放送されています。
我々、現代のホモ・サピエンス(アフリカ人以外)の遺伝子の中に1.8%から2.8%の割合でネアンデルタール人の遺伝子が存在するとのこと。

やっとこれまで漠然と疑問に思っていたことがスッキリした感じですが、交雑種が誕生したときは、どんな場面だったのだろうか想像してしまいます。
意思疏通が思うようにできない種の間では、どんなやり取りをしてセックスしたのだろうかと疑問が湧いてきます。
番組では迷子になったネアンデルタール人の女の子がホモ・サピエンスの家族に育てられ成人しホモ・サピエンスの男との間に交雑種の子供が誕生するという穏やかな場面が想定されておりましたが、実際にはそれだけだったのだろうかということも気になります。

ただ、ネアンデルタール人も含めて人類最初の争うというのは、ホモ・サピエンス同士のものしか発見されていないというので、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスを襲撃したとか、あるいはその逆の襲撃というのはなかったのかもしれません。
また、番組によるとネアンデルタール人は家族単位で生活することが多く、集団や社会を構成することがなかったと論じています。
そのために気候変動で食料不足に陥ったとき集団で解決することができずに絶滅したのではないかと結論付けています。

平日街をぶらつき

相変わらず彼女とは、ラブラブで過ごしてます
こないだの連休はたまたまお互いの休みが合って、そしてお互いのパートナーが仕事だったので、一日中デートしてきました

初めは、大森山の展望台に行ってきました
世の中は連休の中日で平日とはいえ、休みの会社もあるので、知り合いに会わないようにとドキドキしながらね
なぜか展望台には外国人の子供が二人トレーニングをしてた(笑)
その後は岩城の方にドライブ
道の駅は平日にしては、混んでたね

人混みを避けるように海にせり出した漁港みたいなとこまで行って、海を見ながらキスして
この辺まできたらお互いの知り合いはいないだろうし
普段の平日と違い、人目を気にしながらだったけど、
デートっぽいことできて良かったな
普段の平日なら道の駅とか寄ること
できたんだろうけどさ

キスしたらお互いのスイッチが入っちゃってね
市内に戻って、ホテルに入ったの
お昼前だったかな?

今日横浜に行きました

今日、仕事で横浜に行きました。

近い割りにはあまり来ない場所です。

約1年ぶりですか?

あまり変わり映えしませんでした。

よく知らないというのも、あまり来ない要因です。

店とか多すぎてよくわからないんですよね。。

まあ、当分来ることはないでしょう。

とんでもなく秋晴れな日

ちょっと今年は天候不順のせいかちょっとした秋晴れでも驚きます。

珍しく完全無欠な秋晴れですね。

でも台風が接近中らしいです。とにかく今日はとんでもなく秋晴れで暑い9月です。

久しぶりに行った大井町

今日久しぶりに大井町に行きました。

ご存知のように私は以前大井町に事務所があったため毎日行ってましたが、学芸大学に移転したため行かなくなりました。

ちなみに横浜にも事務所があります。

そんなわけで久しぶりの大井町でした。

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